チャネリングについて

私のカウンセリングは、スピリチュアルな表現をするとチャネリングベースですが、今回はチャネリングについて書いてみたいと思います。

(非物質次元は言葉の世界には完全に収まりきらないところがあるのを感じますし、それをどのように知覚するかは一人ひとり異なるものでもあると思いますが、私が今まで学んだり経験したりしたことや自分のスタンスを記しますので、参考になりましたら幸いです)

チャネリングについてはこちらでも触れていますが、私たちには全てが重なり合う領域があると言われることがあり、非物質次元を含むそのような領域から情報を取り出すことをチャネリングと呼びます。

(全ての人がその一部ですので、たとえば誰でもいわゆる “ゾーン” に入って何かをするような際にチャネリングをして自分に必要なエネルギーと繋がっているとも言えますし、また、未来と呼べるような無数の可能性のリアリティからアイデアを取り出したり、過去の記憶と共に特定の振舞いをしたりするようなこともチャネリングの一つして見ることができると思います)


意識的に行うチャネリングには、精神世界用語では以下のような形態があると言われています。

フルトランス……変性意識状態に入り、チャネリングを行う。自分では覚えていない状態(もしくは夢を見ているような状態)で話したり、 “他の存在” と入れ替わって話したりする。
(存在が入れ替わる場合には、そこに「同意」があります。……それが人生において突然始まるような場合は生まれる前からの約束であることが多く、さらに意識的な「再確認」がやってきます)

セミトランス……軽い変性意識状態に入りチャネリングを行う。多くの場合、本人は内容を覚えているようです。

コンシャス……意識のある状態で行う。

※トランスの深さと情報の正確さは、必ずしも比例しないと言われています。
どのような世界や存在と繋がって何を招くかは、そのパイプとなるチャネラー(チャネリングをする人)の信念体系(何を信じているか)や言語、好み、意図に影響されることがあります。

“同じ名前で呼ばれる存在” からのメッセージでも、それを伝えるチャネラーによっては内容が異なる場合があり、また “同じ意識体” でも時代や場所によっては違う名前で呼ばれることもあるようです。

チャネラーにアドバイスを求めるときには “繋がる存在の名前” だけではなく、「チャネラーの放つバイブレーション・感じが自分と合うかどうか」そして「語られる内容が自分にとって響くかどうか」を見ていくといいと思います。


私のカウンセリングでは人格の変わらないナチュラルチャネリング(コンシャスチャネリングです。
クライアントを尊重し、愛と共に導いてくれるような意識体や存在と繋がることを意図していますが、それらを敢えて名前という枠で固定させておりません)や直観を用いていますが、お悩みを聞いているとどこら辺が引っかかっているのかがわかったり「これを伝えてほしい」というようなメッセージの塊を感覚的に受け取ったりすることも多いので、大切だと感じるポイントや、いらしてくださった方が今できそうなことをお話していきます。

※一見伝統的なカウンセリングのように見えることも多いと思いますが、クライアントの創造性(意識的、無意識的に関わらずその方自身の経験を作る力)を見たり、並行宇宙(多次元)の感覚もベースにしたりしています。(以下参照)

直観その時点における自分の都合や好みを超えて、対象の本質に触れるような “知” だと認識しています。
(何かが起こる可能性の一つを強く知覚する “予感” や、不安に付きまとう “妄想” とは、個人的に大まかにですが区別しています)

※セッションにおいて後押しをさせていただくことはあっても、その人の代わりに何かを決断するということには使っておりません。
基本的に、いらしてくださる方がご自分の中にある真実や信頼感に触れながら、ご自身の道を進んでいくためのお手伝いをしたいと思っています。

並行宇宙(多次元)の感覚今この瞬間にも無数のリアリティが存在していて、自分自身もそれらと連動しながら変化し続けているような感覚です。
その観点に立つと、人間は一人ひとりその人の世界・宇宙に住んでいるとも言えますが、さらに私たちは深いところで一つでもあるので、他者として見える存在を陥れたり負かそうとしたりすると、結局自分自身のバランスも悪くなっていくと見ることができます。


私は自分をかなり追い込み悩んでいた20代の初めに、自分を導く声が聞こえたり、離れているものや先のことを知ってしまったりすることが続き、それまでぼんやりとしていた自分のそういった面をはっきり自覚したのですが、その感覚について納得できる説明を加えてくれたのが精神世界でした。

(個人的な体験がなければ、心理学や哲学のアカデミックな方面にもっと進んでいたかもしれません。
自分を掘り下げるためのさまざまなアプローチがありますが、それぞれ惹かれるものや役に立つと感じるものを選んでいくといいのではないかと思っています。
また、見えない世界を扱う上でも、その人の持っている自己肯定感や観念「何を信じているか」がかなり影響しますので、そのようなことに関してお話したりワークショップを行ったりすることもあります)

精神世界の本を読み始めた頃、大きな本屋さんで立ち読みした本の中に「チャネリングをしていると精神が崩壊する」というような一節があったことも覚えていますが、あれから約20年たった今、自分では特に頭はおかしくはなっていないと思っています(笑)。

もともと敏感なところがあるので、時々バランスを取るのが難しくなることがあったり(そういった際には、状況と自分自身を考察してきましたので、乗り越えてきたものはシェアできればと思います)「これを今選ぶ / 選ばない理由」をどうしても人に説明できないときがあったり「風変わりに思われているかな?」と感じることはあっても、年を重ねるごとに自由に、より楽しく生きやすくなってきています。

そしてまた、スピリチュアル的な言葉を使わずに普通に会話をすることもできます。^^

ですので(何をもって正常 / 異常を判断するかもさまざまだと思いますが、時間と空間の世界の中で非連続性を感じるようなときも、基本的に自分が経験・参加している “今” に責任を持っていますし、何かを間違えてしまったと思うことがあっても、完全に自分以外の○○のせいにはしないように心がけています)、周囲からも恐らく気が狂ってしまったとは思われてはいないと思うのですが「チャネリングや精神世界に関わるとおかしくなるのでは……」というような懸念を抱く人がいるのはわからないでもありません。

精神世界と呼ばれるものも色々ありますが、今までの私の学びや経験から、スピリチュアル(精神世界)と安全・健全に関わる上で大切なことは、 “存在としての対等性” だと思っています。

非物質世界に目を向けると、天使、妖精、宇宙人、名前のあるガイド、ない意識体等、たくさんの存在に守られたり、導きや畏怖を感じたりする方もいらっしゃると思いますが、彼らは私たちとは違う視点持ち、色々な(時にとても強力な)サポートをくれることがあっても、存在としては対等で、支配されたりするような関係が予め設けられているわけではないのです。

(全てが一つで繋がり合っているという観点から、彼らはそれを知覚している人自身から完全に切り離されたものではなく、彼らを自分の経験の一部として浮かび上がらせるその人自身の創造物として見ることもできると思いますし、そのような現象をどう捉えるかは、さらに自分の経験世界でそれらを見聞きする各々に委ねられていくところがあると思います。
また便宜上「上からのメッセージ」というような表現が使われることがありますが、時間や空間も重なり合う非物質世界は、地上の上下左右の感覚では測り切ることのできない面があり、非物質的な何かが物質世界に割って入ってくるように感じられることがあったとしても、それはいわゆる “私たちの上空” から降りてきたものとは限らないとも言えると思いますし、考察を進めていくと、何かと遭遇するときには一方だけに理由があるわけではないことや、割って入るのは物質 / 私たち自身の場合があることも見えてきたりします)

愛のある多くの存在は、何かを教えてくれたり、助けてくれることはあっても、私たちをコントロールしようとしたり、盲目的な服従を求めてくることはありません。

なぜならば、この地球上で体を持って生きているのは彼らではなく私たちであり、肉体を持ってこの世界に生きることを選んだ私たちの選択を、彼らは常に尊重して接してくれるからです。

そして、私たちが個人として選んだものごとは、この世界の中での経験として自分自身に返ってきます。

(「○○の名」のもとに自分が何かを行うときにも、その行為に関する個人的な責任から完全に逃れることはないのです)

見えない世界と関わる上で、憑りつかれることをやたらと怖がる人がいますが、その場合は、基本的に体は地球上でその肉体を所有しているものに属しているので、その人の許可なく入ったり、動かしたりできるものではないということを意識してみるといいと思います。

(たとえば、人間の世界であっても、家主である自分の家にいつの間にかやってきた誰かが一緒に住み始めているということはまずないと思います。
もしもそういうことがあったとしたら、ご自身が「しょうがない」と扉を開けたり、何らかの理由があってその方と一緒にいることをどこかで選んだ / 関わり始めた瞬間があったりしたはずです)

ヒエラルキーのようなものを固く信じていたり、それをどこかで求めていたりすると、そういった思想やドラマを自分の経験世界に招きやすいところがあるかもしれませんが、「私のほうがあなたより優れているから、とにかく私の言うことを聞けばいいのです」というような存在とのやり取りは、自分がそこに多大な恐怖心や関心を注がなければ減少していくものでもあると思います。

また、 “パワースポット” “良いエネルギー” “すごいエネルギー” と誰かが呼ぶようなものも、関わるときには「自分にとってはそれが一体何なのか、どう感じられるのか」を意識したり、取り入れる際にはシンプルにそのとき自分自身が効果的だと感じるものを選んでいったりするといいと思います。

(「○○のエネルギー」にどのように反応するかは、人によって異なります。
多くの人が似たように反応をするエネルギーがあったとしても、変化は受け取る側もそれに同調した結果として起こるものであり、全ての人が今この瞬間必ず○○になるのを100%保証できるものではないのです。
突き詰めると、それにどんな意味を持たせる / 持たせないかさえ、関わる人によって変わっていくものとしても見ることができると思います)

さらに、見えない世界と関わる上での “存在としての対等性” は、この世界の中で私たちが他者と接する上でも同じことだと感じます。

私が20年ほどスピリチュアル業界の一端を見てきた中でも、ここがぶれてしまう人たちがいました。

たとえ目に見えない何かが見えたり、聞こえたり、わかったとしても、他の人を強引に動かそうとしたり、その力が自分にあると思ってしまったりすると、他者との関係に対等性が保てずに本人と周囲のバランスが崩れていきます。

シンクロニシティ(共時性)等を意識し始めて自分自身と世界の連動を感じるときに、目に映る他者にとっても自分が中心であろうとするとこの状態に入っていく可能性が高くなるのではないかと思うのですが、グルと呼ばれるような台座に上がってしまうと、人は遅かれ早かれ転落していきます。

恐らく先に挙げた「頭がおかしくなるよ」というような懸念はこの辺りにも関わるものではないかと思いますし、また90年代に日本中を騒がせた宗教団体の崩壊はこのアンバランスに因るところもあったと思います。

私が学んできたスピリチュアル・ティーチングの中に「基本的に、周りにいる人たちは何かを教えてあげなければいけない存在ではなく、愛する対象だ」by エクトン(リチャード・ラビンさんがフルトランスでチャネリングする非物質次元の存在で、私も色々お世話になりました)という言葉があるのですが、私が今まで出会ってきたプロのサイキックの人たちは、相手の許可なく「あなたの○○が見える」「あなたに○○の過去生が見える」と言ってむやみに踏み込んできたり、人を煽って動かそうとしたりすることは、ほぼありませんでした。

(緊急の場合や、特に求められていないときに介入したりする際には、相手の拒絶や抵抗を受ける可能性も含めてその人なりの覚悟が見られることが殆どです)

また、私自身スピリチュアルと名の付くものと関わるほど、大事にしたいと感じる言葉もご紹介したいと思います。

「スピリチュアルな人とは、スピリチュアルな知識をたくさんもっている人ではないんだよ。スピリチュアルという言葉や概念を全く知らない人でも、スピリチュアルな人たちはたくさんいる。彼らは自分自身の人生に責任をもち、自分も他の人も大切にしながら健康的に生きている」
「あなたの進化を促進する方法は、今この瞬間に愛を選ぶことだ」(by エクトン)

私は私自身の好みや興味と共に自分の道を進みますが、目に見えない世界に関する知識や体験が増えるほど、そういったものとスピリチュアルという言葉(が本来意味するところのもの)が必ずしもイコールになるわけではないことも忘れないでいたいと思っています。

精神世界において、特にこの時代はさまざまな観点から人類史上の大変化が起こると言われ続けていますが、これまで押し込めてきた恐れや不安が個人 / 社会レベルでも浮かび上がりやすい今の時代は、「本当に大切なものは何か」をもう一度問い直す “チャンスのとき” としても捉えることができると思います。

もちろん何を求め、何を信じ、どのような経験をするかはそれぞれの自由でもあると思いますが、どのような道を選ぶとしても恐れや不安から抜け出すキーワードはやはり “愛” になるのではないかと感じます。

そして、個々人がそれぞれの道を進む中で創造性や神聖に触れ、無条件の愛にフォーカスするほど時間と空間が織りなすこの世界においても愛や喜びを感じる体験が増え続け、さらにその波動がそれと呼応するものに伝播していくと思います。

志野