さまざまな物事が大きく変わりやすい今日、今まで関わってきたものを手放すことになった方たちも多いのではないかと思います。特にその流れに意識的に乗った覚えがないという場合、大きな葛藤や悲しみを感じることもあるかもしれませんが、今回はお別れの先にあるものに目を向けた記事をUPしたいと思います。
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私は別れや終わりといったものが嫌いで、往生際がわるかったり、引き延ばしたりを今までたくさんやってきた。
でも、そうやってジタバタを繰り返した中で学んだことも確実にあって、たとえ辛くても「今このタイミングで手を放すことが本当に適切だ」というような別れがあるのも知った。
時にそれは腹を切るような決断で、その瞬間は悲しすぎて眩暈がしたり、しばらくの間は禁断症状のような感情の揺り戻しが起きたりすることもあるけれど、それでもやがて後から「あれでよかったんだ」と思う日が来る。
そして、そういった苦しみを越えて見つけたものもある。
それは、別れは全ての終わりではなく、新しい世界に続く扉でもあるということ。
別れの後のぽっかり空いた空間に、寂しさやあせりから何でもかんでもやたらと詰め込んでしまおうとせずに、自分の望むものの本質にフォーカスし続けていると、やがて新しい素敵なものがやってくる可能性があるということを。
それでも、「新しい素敵なものなんて欲しくない。苦しくても窮屈でもこのままがいい。今のままでいたい」と私の中の小さな私がそう言い張って、不自然に何かを引き延ばしたりしようとすると、その不自然さから事態はさらに悪化したり、思いがけないサヨナラの波がやってきて、全てをさらっていってしまったこともあった。
昔、どうしてもお別れできないものがあってしがみついていたときに、自分の中のどこか深いところから何度も何度も聞こえた言葉がある。
「愛を持って手放しなさい。
やがてそれは形を変えてあなたの元に還るだろう」
この世界では、時に終わりに見える変化が避けられない。
それが真実だ。
けれども、たとえそれを嘆き悲しもうとも、二度とこの手で触れることがないものや、この目で見ることがないであろう光景も、深いところでは無くなったわけではないと感じるときが来るのもまた真実だ。
出会いと別れのループが避けられない世界にいることを切なく感じるときも、それを知っているだけで、ほんの少しだけ、別れの辛さが軽減することがある。
別れの対象はさまざまで、人との関わりや特定の場所、楽しかったひと時、使ってきた物、続けてきた事、習慣、これが自分だと信じてきたアイデンティティのようなものから思想に至るまで、本当に色々なものがある。
人はそこから離れるとき、慣れ親しんだものに対する執着やその喪失に恐れを感じたりするけれど、それでも、その先には必ず新しい世界がある。
志野