皆と同じでも違ってもどちらでもいい(年を重ねて思うこと)

このお仕事をしていると、時々とても若い方とお話することがあります。
イベント等ではお母さんに連れられてきた小さなお子さんとも☆ 皆かわいい~。^^
そしてほぼ共通するのは「あなたはあなたでいいんだよ~」というメッセージ。

たとえば自分の内向的な傾向を悩みだすと、きっと色々考えちゃったりする自分がイヤになったりすることもありますよね。
そういったときには、もっと明るく楽しくい続けることに憧れたりするかもしれませんが
でも、そういう繊細さがあるが故に気がつくことや、できることもたくさんあると思います。

振り返ると私も色々な時期があったなぁと思うのですが
特に思春期の頃はあまり溌剌としていなかった一時があって、学校の帰りに大きな本屋さんで心理学系の本を立ち読みしたりしていました。
(その数年後にはさらに上の階の精神世界コーナーに足を運ぶようになるのですが。笑)

今でもたまにその本屋さんに行ってお手洗いの鏡を見ると
どうしていいかわからない顔をしている昔の自分が重なって浮かぶことがあります。

あの頃は何だか苦しかったな~。
何だか苦しいって、苦しいですよね。
でもあの頃の私はまだ、その後もっと自由に動き回ったり、たくさんの好きな人たちに出会えたりする未来の自分を知らない。
(そしてさらに、まさか人と対話をしてお金をもらったりするなんて!)
「大丈夫、私はちゃんと大人になっているから~」ってその自分に声をかけてみたりします。

もしも今、生きるのがつらいと思っている方がいらっしゃったら
若くても、そうではなかったとしても
あきらめないでください。
今の状況やお気持ちも含めてまだまだ変わっていく可能性があることを、どうぞ心に留めてください。

ところで、私の大学の指導教授は哲学の先生だったのですが
卒業してからさらに一年程研究生として残っていたときに
「よかったら大学院の授業にも出ていいよ」と言われて
幾つかの授業に顔を出していたことがありました。

そこで「アイデンティティとは何でしょう?」と問われて
「はい、先生。それは思い込みです!」と即答して
ゲラゲラ笑われた思い出があります。^^

そしてその先生には「いいものを持っていると思うんだけど、気が散りやすいところもあるからね~。大成するのは40歳くらいかな」と言われて
心の中で「え~!後約20年!!」とガーンとなったのも覚えています。
(つまりそれまで生きてきた年数を大体もう一度!先は長い!!笑)

でも、大人になってからの10年、20年って、子供から大人になるまでの20年と全然違うものですね。
両親も含めてですが、あの頃「早く何かを成すのだ!」と急かされずに、とても長い目で見てもらったことに感謝。
(当時先生は70歳位だったので、気も長かったのでしょう。若い頃はもっと怖い人だったらしいという噂もありました。^^)

あのとき先生が意味したところの大成が何かはわからないままなのですが
(そもそも先生は、スピリチュアル系に流れていった私を細かく知りませんし……。 ^^)
今年40歳の私は、昔よりずっとずっと生きやすくなっています。

自分なりの鷹揚さを身につけて、この世界にいることが昔ほど苦痛ではないですし
そしてまた鷹揚になることは単に無神経になっていくことではないとも知りました。

私が年を重ねて思うことは
困った顔で鏡を覗いていた昔の私や、同じような方たちにお伝えできることの一つは

ただただ周囲に合わせようとすればするほど苦しくなっていく

個性を出せとか、同調しろとか、同調しながら個性を出せみたいなメッセージもありますが(ムヅカシイ!!笑)
それはおいて
自分が自分でいて、それが多くの人と同じになるときもならないときもある、それでいいと思います。

皆と違うとか違わないとかはただの結果であって
人と同じ方がいいわけでも
同じではない方がいいわけでもなくて
もしもそれら(たとえば目立たないで!とか目立とう!とか)を一番の目標としてしまうと
本当は自分がどうしたいのか、等から離れていってしまうこともあると思うのです。

そして、生き方というものも、傍から見れば多くの人と足並みを揃えていても
わりと個性的な道を選んでいたとしても、それが混じりあっているような感じでも
それぞれがそれぞれの人生において、チャレンジや踏ん張りどきもあると思うのです。
(そして、自分が自分の道を選んでいると意識できるほど、楽になることもあると思います)

さらに、自分は自分であっていいと心から思えるようになると
他の人も他の人であっていいという思いも次第に増えてくると思います。

私は今、自分だけが○○みたいな状況でも結構平気です。
自分だけそのグループに正式に属していないとか、人種が違うとか、年が思いきり上とか下とか、ベジタリアンじゃないとかもありありです。^^ 
そういったお付き合いも「異文化交流みたいで刺激があって楽しいな~」と思ったりすることが多いです。

そしてもちろん、同じだったりすることの喜びも知っています!
楽しいですよね!!「あ、おそろいだ!」みたいなのって。^^
でも「同じように考え続けようね!」という感じはどうも苦しくなってしまうので
(真面目なのか、こっそり思ってしまうのです。「スミマセン。今、違うこと考えてしまいました~」とか「ごめんなさい。何だかそこからズレてしまいそう」とか。笑)
特定の何かに属さないまま、この活動も続けています。

今、閉塞感を感じながらこれを読んでいらっしゃる方は
そこを越えた世界や付き合いがある可能性を信じてみてください。
それは、一部の人にだけ開かれている世界ではなく
自分自身がどのような目を持つかによって、それまでとは変わってやってくる世界の一つだと思います。

そしてさらに、まだ若くて思うように自分で動けない所にいらっしゃる場合には
大人になったら、年齢や立場や色々なものを越えたお付き合いが増えてくる可能性があることも知っていてください。
(今あまりにも苦しかったり、暴力的な場所にいらっしゃったりする場合には、SOSを挙げるということも考えてくださいね)

そしてまた、何かに所属したり、特定のグループにいたりするのが心地良いと感じるときには、もちろんそれも全然OKだと思うのです。
(私は私のスタンスで色々なものと関わり続けますが、それは皆同じで)どういったグループとどのように関わるかも、それぞれが自分で選んでいくことになります。

そして、人もグループも皆流動的で変わっていきます。
もちろんその中で、変わらないお付き合いもありますが……、それは相性が良かったり、お互いに大切にしたいと思えるような関係だったりするとよりスムーズに続いていくものだと思います。

さらに、できるだけ自分自身でいながら自分の状態や選択に責任を持つことを心がけていると、仮面をつけていない自分を愛してくれる人たちとの出会いも増えてきます。
また、他の人たちも(たとえ自分とはやり方や好みが違っていても)それぞれ独自の道を歩んでいることを尊重すると、その中で楽しい交流が生まれたりすることもあります。

……なんて、今回は昔の自分も振り返りながら書いてみましたが、少しでもお役に立てれば幸いです。

そして、もしもちょっと滞ってしまっているなぁというときには、ぜひカウンセリングもご利用ください。→ブルーミングツリー

お話することでモヤモヤがすっきりしたり、道が開けてきたりする可能性もあると思います!

志野