カウンセリングは通過点。
私は以前、あまり空港の仕組みに慣れておらず、まだ英語もそれほどままならないまま
巨大な空港の長い長い廊下を、日が沈む中一人で歩いたことがあります。
長いフライトの後、アルファベットの渦に圧倒されながらターミナルを移動するバスに乗り込んでやってきたものの
なぜだか私の乗る飛行機のゲート表示がモニターにはなくて
自分の行く方向が乗り継ぎ便とあっているか確かめたくても、殆ど人がいなくて
(後からそれは最終便だったので、目的地へと向かう飛行機が集まるゲート付近で待っていたら最後に残る場所がそこだということが判明しました)
「こっちかの方かな?」と歩きながら、たった一人異国の地で、誰にも頼る人がいなくて、何だか悪い夢の中にいるみたいで、どんどん心細くなって……。
そのとき、私を救ってくれたものがありました。
それは、ポツンと明かりをともしていた両替屋さんでした。
中にいたのは、世界中どこにでもいるような普通のおばさん。
私は換金をして、すっかり自信がなくなった小さい声でおばさんに
「おばさん、私のゲート番号がないんだけれど、どうすればいいの?」
と聞いたら、おばさんは私の心情がわかったのだと思います。
「あなたの行く方はこっちよ。とにかくまっすぐ行くのよ。先は長いわよ。気をしっかりもって!」
と教えてくれました。
「カウンセラー」というと、何となく私は遠い昔に出会ったその両替屋さんを思い出します。
おばさんは一緒に飛行機に乗って旅を続けるわけではないし、その人の目的地でもない、でも大きな目で見れば同じ世界に属している。
特に権力を持っているわけでもなく、行き先(深い深いところでその方が望んでいらっしゃるもの、その人がどうありたいか)や、どの飛行機に乗るか(どう辿り着くか)の答えは相手の方の中にあるのも、そしてその人の良き旅路を祈りがならお手伝いするところも。
もっと重ねてしまえば、両替という行為は、変容を促すエネルギーかもしれません。おばさんはそれを招待するけれど、それはおばさんのものではなく、でも、それがやってくると知っている、みたいな……。
なんて、重ねすぎかな(笑)。
でも、そんな感じが私のカウンセリングのイメージです。
人生の中の通過点としてのカウンセリング。
ちなみにですが、今の私は空港の乗り継ぎが結構好きです。
「今という瞬間」を感じるし、行きたいところに行ける自由は自分の手の中にあるという感じで、機会と時間の余裕があれば異国の空港を闊歩しています。
このように、人は変わります(^0^)/☆
(方向音痴は相変わらずですが、本当に困ったときにはありがたいことになぜだか良いタイミングでいい人に出会えています)
でもそれは、あのとき、前日眠れなくてもここでやめたら一生後悔するだろうと思いながら踏み出した自分から始まっているんだな、と思っています。
(&あの日のおばさんにも感謝です)
また、私のカウンセリングについてですが、プラスの情報としてお伝えすると、私は大きな意味でニューエイジの世界観を持っておりますが、見えない世界に関する階層や儀式といったものにはあまり興味がなく、また特定の手法でなければというこだわりも特にありません。
セッションにおいて皆様を特定の信念体系に招きたいという前提はなく(それはそれぞれが自由に選択することだと思っています)いらしてくださるクライアントの方が、その方らしいやり方によって、本当に心地よく生きるためのお手伝いをしたいと思っています。
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