①恐怖について (パニックとその考察。10年前の実体験より)の続きになります。
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私は2009年からこの活動でお金をもらい始めたのですが、それから割とすぐに人生の大きな転換があり、さらに色々なことが重なったためにしばらく実質的なセッションを休んで自分の充電に重きを置く期間がありました。
そして、その頃歯医者さんに通っていたのですが、ある日の治療中、水しぶきが飛ばないように顔の上部(目の周り)に布をかけられているときに、突然息が詰まるような恐ろしさを感じました。
それは意識を失ったり、気がおかしくなったりしそうな恐怖で、思わず片手をあげて(←ストップのサイン)がばっと起き上がってしまったのですが、突然のことにびっくりした歯医者さんにも緊張が走り、集まってきた歯科衛生士さんたちにも「大丈夫ですか?」と囲まれて脈を測られた後、「今日はもう治療は止めましょう」ということになりました。
そして、予想外の出来事にかなりの衝撃を受けながら帰路に就いたのですが、途中で立ち寄った大きな書店のお手洗いの個室にふらふらと入った途端、とても怖かったことや、恥ずかしかったことに堪えきれなくなり、「もしかして私は壊れてしまったのかもしれない……」と涙が出てきました。
そのときでした。
はっきりとしたメッセージの塊が自分の中にドンとやってきました。
「傷ついていることに傷ついてどうするのですか。 多くの人たちは自分が完全であることをどこかで知っているが故に、 間違えたり傷ついたりすることを極端に怖れ、それを否定し、さらに他者のそうした部分からも目を伏せようとするでしょう。 けれども、そうした部分もあなたが自分の完全性を表現するために、バランスを取ろうとしている一側面でもあるのです」
(私はナチュラルチャネリングを用いてセッションをしていますが、自分のことに関しても、顕在意識で全てを受け止めにくいときや緊急時に、このようなことが起きたりします。チャネリングを意識し始めた初期の頃は、さまざまなことに関して「頭の中で響く声」によって絶え間なく導かれ続けたのですが、今では通常の場合、その声は自分とより融合しているように感じます)
そして、少しだけ冷静になって、現実的に必要なことを整理してみたのですが、「あの歯医者さんを驚かせてしまって申し訳なかった」「きっと私は扱いづらい患者だろう……」と湧き上がってくる思いに関しては、「今のこの状態の私と引き合って担当になっているのはあの歯医者さん。今回突然起きたことは仕方がないとして、今自分の調子がよくないことをきちんと説明しよう。そして、このことをどのように受け止めるかは歯医者さん次第だけれど、もしもあまりにもやりにくそうだったら、別の歯医者さんを探そう」と決めました。
そしてそれから、そのまま家に直行すると何だか自分の部屋に暗く沈んでしまいそうだったので、途中で飲食店に寄って休憩をしていくことにしたのですが、そこで休んでいると突然、「今から○○図書館に行くといい!」というとても強い感覚がやってきました。(このような感覚は、理屈では説明をつけることができなくても、追っていくと大抵何かにつながっているのを経験上知っているのですが、それを追うとしても無視するにしても結果を自分が負うことになるのは、忘れないでいたいと思っています)
それからその図書館まで移動して建物に足を踏み入れると、ほぼ同時にチャイムが鳴り、「今から○階で、映画の上映があります。よろしければお越しください」というアナウンスが流れました。
そこで「タイミング的に行ってもいいかな」と思い、そのフロアに上がってみると、そのホール会場の前では何とメンタルヘルスのご案内という紙が配られていました……。
そして、「なんだぁ。映画と誘いつつ、メンタルヘルスの案内だったのか……。でも、今この場所に自分が同調するということは、勘は鈍っていないみたいだけれど……、私は本当に調子が悪いんだなぁ」と思いながら映画を見たのですが、その後簡単な案内があり、「最近、この地区の自殺者が多かったので、こういった場を設けてみました。皆さん調子が悪いときには、気軽に相談にお越しください。人生の節目や、大きな変化の後にバランスを崩すことは、意外と誰にでもあるんですよ。それを知って欲しいのです」というような説明がなされました。
そのとき私は「私も一応セラピーに携わっていたのに、こんな状態になっちゃったなぁ……。とほほ。でも元気になったら、セラピストとしての私の需要もあるかもしれないなぁ……」などと思ったのですが、映画を上映する際にパチンと電気が消されただけで、びくっと体が反応してしまうほど弱っていました……。
そして、このとき浮かび上がってきた恐怖は原因がはっきりしている自分の調子の悪さに加えて、色々なことが重なったものだという自覚もあり、過剰に反応してしまっているのはわかるのですが、それでも再び歯医者さんに行くことを考えるだけで「また同じような状態になってしまったらどうしよう」と不安を感じたりするようになりました。(※この状態は、心理学用語で「予期不安」と呼ばれたりしています)
けれども、ここで逃げてしまったら歯医者さんがもっと怖くなってしまうという気もしました。
そこで、自分でも出来る限りのことはしようと思い、フラワーエッセンスなどの代替療法を利用したり、当日は体を締め付けない服を着たりすることにしました。
さらにそれでも恐怖で意識が飛んでしまいそうな不安がよぎるので、スピリチュアル系の仲の良い友達に「治療中、遠隔で手を握ってほしい」とお願いをして、まるで拷問台のようなイメージになってしまった診察台に瞑想でたくさんの光を送り、目に見えないサポートも祈りながら臨むことにしました。
そして、再び顔を合わせた歯医者さん(←姉御っぽい女医さんで、いい意味で気を使ってくれている感じでした)に自分が今あまり調子がよくないことを説明して、「水が飛んでもいいので、顔に布をかけるのは止めてください。目を開けていてもいいですか?」と聞き、治療中は目を開けて歯医者さんの白衣(の繊維)をじっと見ていました。
一番よかったのは、治療の最中に、歯医者さんがご自身のちょっとしたプライベートな話をしてくれて、それを聞いていたら気持ちがかなり逸れたことでした。
(↑経験からも言えるのですが、「怖い」という思いでパニックになりそうなときには、自分の意識を「今、為すべきこと」 or「 今、怖くない何か」に向けるのが、そこから抜けるキーポイントの一つとなります)
そして、その後も無事にその歯医者さんに数回通い続け、自分の内面も掘り下げながらバランスを取り戻していったのですが、この話にはまだ続きがあります。^^
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③恐怖について (パニックとその考察。10年前の実体験より)に続きます。