カウンセリングにおけるケースバイケース

以前、私が目にした二つのワークショップにて
それぞれの講師に、似たような相談をした人たちがいました。
その相談とは「隣の家の騒音に悩んでいる」という内容でした。

一つのワークショップでは
「あなたはとても疲れているようです。
休暇を取ったりマッサージをしたりして、リラックスして自分の内側とつながりましょう」
というようなアドバイスがあり

もう一つのワークショップでは
「勇気を出して隣の家に行って、音が大きいですと言ってください。
自分を主張すること、これが今のあなたにとって必要なことだと感じます。ですから、もしも今別のところに引っ越したとしても、また似たようなことがある可能性が高いでしょう」
というようなアドバイスがありました。

この二つのアドバイス、比べてみるととても面白いなと思うのですが
一見のところ、同じ質問でも
①状況も違う。
②人も違う。

ということで
全く違う回答になったのだと思います。
(また別の人が相談をしたら、さらに違う回答もあったかもしれません)

そして、私が行っているようなカウンセリングにおいて、①②によって違う=「ケースバイケース」というものは、かなり大事なものになってくると思います。
「こういうケースはこういうもの」といった答えが必ずしもあるわけではなくて
似たようなお悩みを抱えた人が来て、結果的に同じようなことを言うときが何回続いたとしても
その次はわからない……、さらに同じ人でも時によって違うところもある。
その瞬間、その人と一緒にいないと見逃してしまうことというものもあると思います。

そして突き詰めると
③答える人によっても答えが違うか?という問いも出てくるかもしれませんが
答えはYESであるときも、NOであるときもある……、まさに、ケースバイケースだと思います。

たとえば、同じ人が何人かに同じ質問をしたときに
どんな相手からも同じアドバイスが返ってくることもあると思いますし
また、相手が答える全体的な傾向や、好むアプローチというものもあると思います。
そして、その相手が持っている信念・観念体系によって出てくるアドバイスが異なるということもあると思います。
(たとえば、同じ病気に対しても西洋医学と東洋医学の取り組み方では違うところがあると思いますし、自分の両親に何かを尋ねたときに、お父さんとお母さんから返ってくる答えはそれぞれ違うといったこともあるかと思います)

後者の、アドバイスがさまざまな場合
じゃあ、「一体どんな人に聞いたらいいの?」とか
「異なるアドバイスをどのように受け止めたらいいの?」
というような疑問が出てくるかもしれませんが
ここでは、質問者も「参加する・している」という意識がポイントになってくるかと思います。

たとえば、誰かの言葉が誰かに響いたとき
それは
伝えたい誰かと
それを聞いて理解したい誰かが引き合った(出会った)
と見ることもできると思います。

そしてさらに突き詰めていくと
「何を、どこまで、どのように知りたいか、または信じたいか、経験をしたいか」
はそれぞれ違うと思いますし
「自分が根本的に何を望んでいるか」
によって引き合う人や言葉、そこからのアドバイス等をどう活かすかも変わってくると思います。

ですので、何かを「誰に聞こう?」と迷ったら、とにかく今自分が惹かれるものの情報を集めたり、気になる人とコンタクトを取ってみたりするといいと思います。
(「惹かれる」「気になる」といったところに、自分が求めているもののヒントが隠れていることがよくあると思います)
そして、もちろんご自分が選んだからと言ってそこからの情報をすべて受け止める必要はないとも思います。
(しっくりしないときには、それによって改めてご自分が望んでいるものがはっきりすることもあるかもしれません)

どんなときも、その場にいることを選択した(参加した)自分を忘れずにいると
(無意識的な流れの中だったとしても)
人生の主導権は自分にあるということがはっきりすると思います。
そして、それをどう受け止めたいか、どう活かすかを自分で決めることができると思います。

&私のカウンセリングでは、特に「個人の選択」というものを重視していますが
ご自身の意思というものがとても大切だと思いますし、いらしてくださった方がご自身の内なる感覚を高めて、ご自分で決めた道をいらっしゃるお手伝いをしたいと思っています。

※また他の方に対して「あなたは絶対にこうするべきだよ。絶対にこうしないとだめだよ。なぜなら、これはこういうものだから」等のアドバイスは(もちろん言葉のあやというものはあると思いますし、状況もさまざまで、愛はフレキシブルという側面もあるとは思いますが)選択の余地のない響きを伴って他の方の可能性を奪う可能性もあると思います。

(尋ねられた際、ノックをされた際に「自分はこう思う・感じる」「こういう見地からおすすめするよ」と話したり、また、自分が直接関わっている際に「自分にとってこれはイヤだからしないで欲しい」 といったメッセージを発したりすることは、相手にYes or No or ……. の返答の余地を残すので、もう少し違うと思いますが……)

たとえ上記のようなことがあったとしても、それは両者に潜在的な同意があって起きた、などという見方もできるかもしれませんが、できることなら、できるときからこのような意識を持つことは、個々の人間の存在(の源)に敬意を払うことにもつながるのではないかと私は思います。

このことはとても大切だと感じますので、セッションではもちろん、また私生活においても忘れないでいられたらいいな、と思っています。
(と言いつつ、パートナーよ、たまにやってしまったらごめん……。そのときには反省して気を付けます(> <))