死について② 「フィンドホーン創設者、アイリーンの死」

フィンドホーン(Findhorn Foundation)というのは、スコットランドにあるスピリチュアルな共同体だ。
「スピリチュアルな共同体」といっても、グルのような存在を崇めたりしているわけではなくて、一人ひとりが内なる神聖さを意識しながら自然と共に暮らしている。

そこを私は2006年の12月と2009年の5月に訪れている。
最初に訪れてみようと思った一番の理由は、グルのような中心人物がいなくても本当にそういった共同体が成り立っているのかを、この目で確かめたかったからだ。

そして振り返ると、私がフィンドホーンの地を踏む流れはまだその名前を知る前から始まっていたのかもしれない、と思う。

おそらく、本当の最初は子供のとき。
小学生の私は当時の子供社会に漂っていた競争意識に疲れ、閉塞感を感じていた。
そんな中のある日、同級生が私に作り話をしたことがあった。
「遠くの外国に、皆が自然の中で仲良く暮らしている場所があるんだよ~」と。
からかわれているのかもしれない、と思いながら「そうなんだ。行ってみたいな」と私は答えた。
そのときの私は、本当にそんな場所に行ってしまいたかったのである。
あるとき強く望んだものをいつの間にか手にしているケースは多々あるが、私とフィンドホーンとの出会いは何だかそこら辺が始まりのような気がする。

そして19歳のとき、アイルランドに滞在した帰りの飛行機の中で、突然自分がイギリスにいる姿(ビジョン)を見た。
留学でもなく、旅行でもなく、冬の恰好で大きなスーツケースと共にその地に立っている自分の姿がはっきりと見えた(浮かんだ)のだが、その自分を取り巻く状況は今の自分とは随分違いそうだったので、それ以上は知りたくないと思ってそこから先を見るのはストップしてしまったという記憶がある。

それから約9年後、フィンドホーンにいるときに突然「あのビジョンはここだったのかもしれない」と思い出したのだけれど、初めて訪れたその地は本当に素敵な場所だった。
最初は体験週間という名のプログラム=Experience Weekに参加して、色々な国の人と自分の思いや感じていることをシェアしたり、歌を歌ったり、踊ったり、瞑想したり、ボランティアをして過ごした。
その時間は心地よく満ち足りていて、「こんな場所があるならば、私は地球にいるのが楽しい!」と私の中のインナーチャイルド(子供心)がとても喜んでいた。

2週目はExploring Community Life というプログラムに参加して、パークという(フィンドホーンが始まった場所:創設者であるアイリーンが内なる神の声に導かれながら、夫のピーター、植物の精霊と会話をするドロシーと共に、何もない荒れ地を開墾し、通常その地では育たない植物まで育つような豊かな土地になった)所に移り、バンガローと呼ばれるコテージに泊まった。
グループメンバーはアメリカ人、ドイツ人、イギリス人、日本人の私の4人で、家族のような親密な時を持つことになり、私は「このままずっと、この人たちとここで暮らしてもいいんじゃないか」と思えてしまうくらいの幸福を感じた。

そしてその間に、アイリーンが危篤だというニュースを耳にした。
私たちのフォーカライザーが「そんなに悲しまないで。彼女の旅立ちを引き止めることになるから」と静かに言ったのが印象に残っている。

その朝、フィンドホーンが始まった庭に私はたまたま一人でいた。
そこはいつにも増して、とてもとても厳かなエネルギーで満ち溢れていた。
私は庭の片隅にある東洋の像に膝をついて祈った。
もしもサポートになるのでしたらこのエネルギーも旅立ちにお使いくださいと。

その日の午後6時半くらいだったと思う。
突然瞑想室に行かなければいけないという気がしたので、私は一緒にテーゼ(と呼ばれる聖歌)に行こうと約束していた人に予定変更を謝って瞑想室に出かけた。
そして、瞑想室には誰もいなかったので、一人でキャンドルの前にじっと座っていた。
あまり集中できなかったけれど、一定時間が経った後、部屋を出ようとしたときにアイリーンの言葉が書かれた本を見つけた。
ぱらぱらとめくってみると、新旧の流れが入れ替わるというような内容が目に飛び込んできたのを覚えている。

それから頭上で星が瞬くアイリーンの庭を通って自分のバンガローに帰ると、同じグループの人たちが玄関で煙草を吸っていた。
そして、アメリカ人の女性が passed away という言葉を使って、白い煙と共に「アイリーンが亡くなったのよ」と教えてくれた。

私は驚いたあまりに、何だか自分の意識まで夜空に吸い込まれていってしまいそうな気がして、普段自分が絶対にしない行為(健康云々よりも、至近距離にある火が好きではない為)・タバコを一本もらって、ゴホゴホと無理やり吸ってしまった。

どんな存在の「死」も大きい。
それは周りの人たちに余韻を残し、「死」という終わりがあるこの世界で生きることについて考えさせてくれる。
そして、フィンドホーンを創設したアイリーンの生も死もきっと、たくさんの人が色々な関わり方をしたと思う。
私は今でもあの日の庭の厳かな輝きを覚えている。

Findhorn Foundation(English)
アイリーン・キャディの自伝「フィンドホーンの花」

さらにフィンドホーンでは、そういった忘れられない体験をしただけではなく、その傍ら個人的な問題が浮上して、自分のバランスを取り戻すのに結構時間をかけることにもなった。
見えない世界との壁が薄いと言われる所は色々なものが浮き上がりやすいと感じたが、そんなフィンドホーンには2009年にダンスを習いに再び訪れてから、もう10年以上が経っている。
また行く日がくるのかもわからないし、フィンドホーンを愛する日本の人たちの集まりにもあまり顔を出してはいないけれど、あの場所は心の中にずっとある。
フィンドホーンは私に、人間が自然界と協力しながら仲良く暮らせることを思い出させてくれた場所だ。

志野