筋違いより。人生を自分のものとする

先日のこと
実家で両親と夕飯を食べていたら兄がやってきて
「最近腰の筋を違えてしまった」という話をした。
先にご飯を食べ終えた私は、「大変だったね~」と言いながら
ご飯がまだだという兄にサンドイッチを作った。

次の日の明け方、「お兄ちゃんにおむすびを作ってあげて」と夢の中で母に言われた。
「は~い」と左腕を伸ばした瞬間

「あ」と左の背中の筋を違えて目を覚ました。

結果、左上半身が殆ど動かなくなって
なんと、私が母におむすびを作ってもらって食べるはめに……。
(ちなみに、母は前日の夕飯の後、お釜にご飯が残っているのを見て
「サンドイッチじゃなくて、おむすびでもよかったわね」と思ったらしい)

一見、誰の何の特にもならないこのつられよう……(爆)。

(セッションは、はっきりした同意のもと
自分の受け入れ態勢もしっかり整っているので
妙な形でつられることは殆どないのだけれど)

今回の件は、色々な角度から見ることができると思うけれど
基本的に自分側にも受け入れる何かがないとこういうことは起こらないと思うので
もしかしたらすごく深いところの理由の一つとして
「私は休みたかったのかな」と思った。

そして、このことによってご迷惑をかけてしまったところもあったのだけれど
あまりにも体が動かないのと同時に
次はこれをしようとか
次はこれをしたいとか
そういうことを一切考えなくなって
頭が完全にOFFに。

ただひたすらただじっと座りながら
(仰向けで寝られるようになるまで数日かかりました……)
両親がまだ元気で
こんなときに色々世話を焼いてくれる状況にいることにも感謝。
きっといつか、今を思い出して泣いてしまうんじゃないかと思いながら
元気になったらもっともっと親孝行をしようと誓う。

さらに、良くなるのには時間がかかりそうだったので
最終的には整骨院にもお世話になったのだけれど
その帰りの電車に揺られながら

ふと、自分は今幸せだなと思った。

こういう感覚は、必ずしも何かを成したり手にしたりすることと連動しているわけではない。
欲望を持たない方がいいと思っているわけではないし
シンプルに、好きなことはした方が楽しいし、惹かれるものを手にして、愛しい人たちと交流すればといいと思う。
でも、それらはとても流動的なものでもある。

実は誰でもそうだと思うのだけれど
私は、いつでも一体何をしているかわからない人に簡単になれる。
昔はそれがとても怖くて、もっと自分をどこかに当てはめなきゃと必死なときがあった。
今はそのことがあまり怖くはない。

もちろん色々な気持ちになることはあるし
これからだって、へこむこともあるだろう。

でも、さまざまな選択をして自由に生きていると感じる今
どんなにぶれても、時間がかかっても
大きなところで帰る場所を知っている気がする。

そしてそれは、何を成すとか何を持つとかには関わらず
「人生を自分のものとする」
というような感覚とつながっていて
それを少しずつ育んできたように感じる。

今回の筋違い
予定外・予想外の創造性を含めて
そんなことを色々確認する時間になりました。^^

さらに、ここからは何と突然宣伝につなげてしまうのですが!(笑)
きっとここにも、私がお手伝いできることの一つのヒントがあると思うのでした。

これを読んでくださっている方の「人生」は
もちろんお一人お一人違うと思います。
それはとても当たり前のことで
ですので、細かい調整やアプローチも違うと思うのですが
「人生を自分のものとする」とは
それぞれがそれぞれのやり方で
「生を肯定していく(生きていることに頷く)」ことでもあると思うのです。

私は、本来何者でもない自分も知っていますが
いらしてくださる方の中に
いかようにでも使える力があることも知っています。

何だかいつも違和感があるという方
今何かが苦しくて辛いという方
お手伝いできることがあるのではないかと思いますので
よろしければお声をお掛けください☆

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