今回は、私たちの創造性の一つでもある「許可」というものに視点を当てていきたいと思います。
この「許可」は、何かを形にしたり、夢を叶えたり、好ましくない状況から離れるうえで、非常に大事な鍵となります。
個人レベルでも世界規模でも大きな変化が起こり得るこの時代、「何を指針に、どのように動いたらいいのかわからない」という方もいらっしゃるのではないかと思いますが、今こそ “自分の創造性” に目を向けて色々な基盤を整えていくことをおすすめします。
セミナーやワークショップでお伝えすることを丸々詰め込んだような内容となりましたので、参考にしていただければと思います。^^
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目次(クリックで移動します☆)
- 1 【何かを為すうえで、必要不可欠なもの】
- 2 【「許可」と資格について】
- 3 【「自分に出せない許可」を見直してみましょう!】
- 4 【「『NO!』と言う許可」を自分に出すことができますか?】
- 5 【虐げられるような場に居続けることを、できるだけ自分に許可しない】
- 6 【「許可」と癒しについて……「今癒されているように見えるほうが良くて、癒されていないように見えるほうがダメ!」というわけでは必ずしもない】
- 7 【「自分に早く許可を出して、どんどん色々なことを形にしていったほうがいいのかな?」→「時間をかけて出す許可」について】
- 8 【「『他の人を思い通りにできる許可』を自分が持っている!」と思い込んでしまった人は、揉めごとを起こしやすい】
- 9 【まとめ&振り返ると見えてくるものについて】
【何かを為すうえで、必要不可欠なもの】
何かを形にしたり、夢を叶えたりするうえで不可欠なものがあるとしたら、それは一体何でしょうか?
色々な考察を続けながら私がつくづく感じているのは、何かを実現させるときには「自分に対する許可」= “それが実現している状態を、自分がどこかで許している・受け入れている” のが必要不可欠だということです。
たとえば、他の多くの人がやっていないことをやってしまう人は、大抵の場合「誰かからの許可」を待って動いてはいないのです。
その人は、ただそうすることを自分に許しているのです。
真っ先に○○をしてしまうのも、一人で○○してしまうのも、××歳で○○してしまうのも、“他でもないその人” が、〇〇することを自分に許しています。
もちろん、法律に反して動いたりすると違法行為として扱われますからね~。お忘れなく!
(批判したり煽ったりすることを目的としているのではなく、既存のルールや常識を越えてまでやってしまうかどうかさえ「その人が自分に出す許可」によるという話をしています)
そして、やりたいことをやるために、時に法律まで無視をしたり、強引に変えたり(曲げたり)してしまう人は「××(のせい)だから」と理由をつけることがあるのですが、この場合「『××(のせい)だから、〇〇をしてもいいのだ』という許可」を自分にあげているのですね。^^
たとえそれが周りの人からは「うわぁ。その理屈は通らないだろう」と思われてしまうような「辻褄の合わない許可」であったとしても、その人自身の中ではそれを正当化する図式が出来上がっていることもあるでしょう。
また「自分はずいぶん頑張った・我慢した」という思いのある人が「だから、これくらいはしてもいいよね!」と背徳的な行為に及んでしまうときや、退屈だったり何かから目を背けたかったりする人が「心のままに」「好きなことをしよう!」といった言葉を目・耳にして「うんうん。やっぱりそうだよね~!」と自滅に続く道へと踏み出してしまうときにも、「『○○をしたい』という思い・衝動に身を任せるための心の許可」がガチャンと降りる瞬間があったりするかもしれません。