何かが起こるとき

たとえば雨が降るとき

だんだんと空気中の水分が溜まり雨雲が発生して雨となるように

たとえば花が咲くとき

成長した草木がつぼみをつけて

ある朝花開くように

この世界では

何かが起こるとき

それが突然起きたかのように見えたとしても

殆どの場合、何らかのエネルギーが高まってその現実に至っているといってもいいと思います。

たとえば誰かと誰かがぶつかるとき(精神的または肉体的に)

理由は互いに対する表面的な動機だけではなく

双方に何らかのエネルギーが溜まっていて

同じ強さのものが拮抗したり

磁石のように+と-のようなエネルギーが引き合っていたりする、ということもあると思います。

たとえば「何かがどうしても許せない!」と思っているときや

「自分の正しさや何かを証明したい」と思っているときに

そのエネルギーが強ければ強いほど、そういったものを引き付けて

繰り返し向き合うことになる、ということもあると思いますし

あまりにも「誰かの気持ちが理解できない!」と強く思っていると

ひょんなときに自分が似たようなことをしてしまって

別の見方が生まれる、というようなこともあると思います。

※上記はあくまでも一例です。
&エネルギーの話にすると、いい / わるいではなく
単純ではなく色々なエネルギーが複雑に絡み合って事を成しているケースもあると思います。

そしてまた

同じ日、同じ時、同じ空港に集まっている人たち全てが同じ飛行機に乗るわけではないように

同じ飛行機に乗っている全員が必ずしも同じ目的を持っているわけではないように

そこにいる理由はそれぞれだと思いますが

同じ場所で顔を合わせている人たちには

そこに至る「無意識 / 意識的な参加の同意」というものが考えられます。

傍から見ただけでは簡単にはわからなかったり

安易に結論づけられないような「経験に対する同意」というものもあったりするかもしれませんが……。

このように、私たちはそれぞれの人生において

どこかでずっと心配していたり、あきらめていたりしたものが溜まって

何かに遭遇することもあると思いますし

(何かをあきらめていた心の奥のどこかで「願い」を持っていると、一見するとエネルギーが反転したかのように、真逆のことが起きる可能性もあると思いますが)

自分がどこかでずっと望んでいたものが突然手に入ったりすることもあると思います。

と、書きますと

「エネルギーの蓄積って何だかこわい。

……と思っていることで何かこわいことが起きたらどうしよう」

と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが

心配することを心配する力よりも

意識するとそれを表現したりすることで (色々な方法があると思います) 消化が起こるので

抑圧している無意識的な怒りやあきらめの方が、もっと強いとも考えられます。

「それでは、自分にそういう無意識的なものがあったらどうしよう」

と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが

「何かが間違っているのではないか」と心配になって自分を掘り下げ続けるよりも

(過度に見つけようとすることによって、逆に「種」を作りあげてしまうこともあると思います)

多くの場合、大事に至るまでにはその兆候があると思いますので

日常の中で自分が感じていることを無視せずに

何かが引っかかるというときには少し自分を見つめて

本当の心地良さや望むものにフォーカスしていくこともできると思います。

そしてまた、全く理由のわからないことが起きたときには

普段の自分が意識することのないもっと大きな流れの中での自分が選択・同調した出来事として捉えてみると

その時点ではなぜだかわからなかったとしても

「それでは今、自分は何を望むか。どうありたいか」を基にそこから進んでいくこともできると思います。

(この世界と同様に、自分という意識は何層にも重なり広がり合うものでもあると感じられたり、言葉というものに押し込めることが難しかったりするところもあると思いますが、何かを望むことは、必ずしも全てをコントロールしようと意図することとは限らず、それ自体が「自然の流れ」に含まれたりまたそれを含んだりするものともいえると思います)

※補足

と上述しましたが

これは過去から未来への連続した時間・空間の世界の存在を前提にした話であって

私たちは日々の中で

先々や遠くで起こる何かの気配を全く脈略なく感じてそれに無意識的に反応したり対応していたりすることも多々あると思いますし

原因と結果は必ずしも直線的な時間軸の中にあるとは限らず

同時に存在するようなものとしても捉えることができると思いますが

そのような観点に立つときにも

同時に複数のリアリティーを見たり感じたりしている自分が「今」本質的に何を望むか、に意識を合わせ(or 任せ)ながら

「形の世界」で経験するリアリティーを選択・創造し続けていくことができると思います。