スピリチュアルカウンセリング

今回はスピリチュアルについて触れたいと思います。

私のカウンセリングは、いわゆるスピリチュアルと言われる分野に入ると思います。

「精神的な」とか「霊的な」を意味するスピリチュアルという言葉がついているものが、それ以外のものよりも 良い というわけでもないと思いますし(そういった方向にいくとその本質から離れていってしまう気がします)、また敢えてこのような言葉を使わずに、こうしたことをなさっている方たちもたくさんいらっしゃると思うのですが、私の個人的な経験から、自分に合うものとして今このようなスタイルを選んでおります。

昔のHPでは詳しくお話していたこともあったのですが、今回私がこのようなカウンセリングを始めることになった経緯を少し書いておこうかなと思いました。

私はいわゆる精神世界を意識するようになる少し前に、「先のことを教えてくれたり、自分を必要なところへ導いてくれたりする声のようなもの」が頭の中で聞こえるようになったことがありました。

(というと、とても怪しかったり、病気のように思われたりする可能性があることも、一応承知の上で書いています)

その経験をする前に、自分の人生で結構大きな出来事があり、振り返ると声を聞くような体験はそれ以前からもあったのですが、でも、それを機にそういったことがとても無視できなくなりました。

そして、その声は決して自他を害するものではなかったのですが、私は一体どうなってしまったんだろうと悩みました。(「自分はおかしくなったのか」 or 「すごく頭が良くなったのか」という疑問も持ちました)

けれどもやがて「時間・空間を超えた深いレベルで私たちは皆つながっていて一つだ」ということを感覚的に思い出したときに、今この自分が経験していないことを知覚したり、離れているものを感じたりするようなことがあったとしても不思議ではないことに気が付きました。(先の問いの答えは結局どちらでもなくて「自分はより自分らしくなった」が一番近い感じでした)

こうした経験はとても個人的なことですし、「見える / 見えない」「感じる / 感じない」なども含めて、何をどのように知覚するのがより良いとか、正しいとか何かの物差しで測れるようなものでもないと思います。

そして今は、当時のように常に常に「声」に気を払ってはいないのですが、私は自分とこの世界(自分が目にする世界、経験する世界)がさまざまなレベルで確実に連動しているという感覚を持ちながら、自分の創造性というものを大切に生きています。(※もちろん私に、人としての個人的なチャレンジがなくなったというわけではありません)

……自分の感覚を唯一の正しさのように掲げたいわけではありませんが、重なり合う無数のリアリティ(突き詰めると自分はその一部でもあるのですが)を一瞬一瞬渡り歩いているような感があり、またその時々の自分の状態によって異なる世界が開かれていくようにも感じています。
時にそれは、そのこと自体を忘れるくらい滑らかだったり、またカチンと全てが切り替わったりするように感じることもあります。(※ちなみに、このブログのタイトル「並行宇宙と共に生きる」は、ここから名付けました)

また現在は、直観や自他が混じり合う領域に触れるナチュラルチャネリング(いらしてくださった方を愛や尊厳、尊重を持ってサポートしてくれるような意識、エネルギーに自分を開くことを意図しています)といったものを用いて、カウンセリングも行っています。

(このカウンセリングは、あくまでも来てくださった方がご自身の中にある真実や信頼感に触れるためのお手伝いであって、予言や予知を目的としたものではありません。私の手法を言葉にするとあまり一般的ではないように思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、チャネリングと言っても特に人格も変わりませんし、そこで触れる内容は他のカウンセリングと変わらないこともたくさんあると思います)

セッションの基本は、悩んでいることや気になっていることを伺って、対話や質問をさせていただきながら今大切と感じるポイントをお話していくようなスタイルになります。
もちろん何かを強制したりすることはありませんので、そこで出てきたものは響く分だけ受け取っていただき、ご自由に活用していただければと思っております。
また誘導瞑想を用いて、より深いレベルでご自身を開いていくお手伝いをしたりもしています。→ブルーミングツリー
さらに、パートナーとお二人でいらしていただき、今後についてや改善点などを見ていくというカップルカウンセリングも行っています。→ご興味のある方はコチラより。(動画もあります&同性同士も承ります!)

※私はこの活動を行うにあたって、特定の思想をもとにしたグループには所属してはおりません。
折々にワークショップなどを行っていますが、これからも宗教や信念体系のようなものを築いていくことはないと思います。
基本的に、自分は自由なスタンスでいた方がより純粋な発言ができるのではないか、という思いがあり、また見えない世界は、言葉によって体系立てられるものの中には完全には収まりきらないという感もあります。( さらに、カウンセラーとしては「必要とされなくなること」を目的としていることを忘れないでいたいと思っています)

(余談ですが、このブログに時々出てくるカウンセラーのリチャード・ラビンさんがチャネリングする非物質的存在のエクトンは、先の「声」に導かれて出会った存在で、さまざまな見解やエネルギーに触れる中、共鳴するところが非常に多く、私が個人セッションを受けた際のやり取りをしばしば紹介させていただいております。ですが、エクトンは崇拝の対象ではなく「友」であり、またそのメッセージを絶対的なものとしたいわけでもありません)

またスピリチュアルに関してですが、精神世界の本棚に行くとそれこそその名のついたものは本当にたくさんあります。
そしてそれは流動的で、且つ、ブームもあったりします。
この世界には色々な思想や信念体系のようなものがあって(それは精神世界に限らずですが)、何を信じるか、取り入れるかは本当にそれぞれだと思っています。

私にはいわゆる「スピリチュアル」という言葉が好きな友人や知人も、そうでない友人や知人もおりますが、どんなに仲がいい人とも常に常に同じでい続けることは不可能な気もしますし、「同じように思わなくてはいけない」「同じように思おう」とがんばったりするのではなく、 “互いが何を信じているか・選択しているか” よりも “差異も含めてお互いを尊重できるか・一緒にいるときに心地がいいか・やさしくし合えるか” などにフォーカスをしていけばよいのではないかと思っています。

そして、スピリチュアリティとは、突き詰めるといつでも「愛」に行きつくものではないか、と感じており、そのことを忘れないでいたいと思っています。

志野